群馬県の中之条にて開催されている中之条ビエンナーレ2017、2019、2021と参加し、継続して行ったプロジェクトである。自身とほぼ同年生きた一本の杉の木と関わり、知ろうとすることを通して、そこから見いだされる関係性や存在について見つめていくことから始まり、それを支える大地、そして山や森とそこで生きる人との関わりへとその意識が広がっていった
2017年には自生する状態の木の幹に建築廃材である異形鉄筋を巻き付け、最終的に切り倒した。一本の木と向き合う時間の中で「命」について改めて深く考え、それが物質として消えていくことを通して、それを知るということ、そこに残っていく関係したという事実を彫刻として制作した。
2019年では、残された根の部分をツルハシとスコップを用いて掘り上げ、自身の身体を通して見えないものを知ろうとすることによって感じることができたことを、掘り上げた際に出た土を用いたインスタレーションによって顕した。
2021年には、舞台である中之条町が取り組む林業での事業展開を背景にリサーチを行い、そこにある「畑としての山」、そしてそこで生きる人間の在り様について探っていった。材として山から切り出す際に山に畑の畝の様に残される大量の枝の一部を採取し、それを用いて二つのオブジェクトを制作した。

To Know -畝あるいは山
H270×450×450㎝
2021年/伐採時に廃棄された枝葉、インシュロック

 

​To know-plant

​H75×W280×D140

2021年/伐採時に廃棄された枝葉、土、金網

 中之条は豊かな山々に囲まれ、これまでも林業が盛んに行われてきた。しかし、国内の他の地域と同様に、薄給による従事者、後継者の問題、安価な外材の輸入による価格の崩壊など様々な問題を抱えている状況だったが、近年、補助金などの導入、制度の見直しや新たな取り組みとの共同など、町として特に力を入れている背景がある。今回、地元関係企業、林業組合などへの聞き込みや伐採現場へのリサーチを行い、自然と人の営みやその在り様を探っていった。私はその中で、この世界に流れている時間に対する感覚や、これまで見えていなかった山の姿、そしてこの世界の中で生きる私たち人間の姿をぼんやりと、しかし強く感じていた。

 管理された森林は畑の様に定期的にメンテナンスされている。均質に育つように間伐、枝降ろしが行われ、60年のサイクルで一度全て伐採される。そこにはすぐに植林が行われ、次の60年が過ぎていく。60年というサイクルは人の生のサイクルにもぴったりと重なる。天然の山ではなく、畑としての山、造られた森。その場で切り落とされて残されている不要な枝葉も、サイズも曲がり方も天然物ではありえないほどにその「なり」が均質に揃っている。それは積み重ねられ、まるで畑の畝の様だ。ゆっくりと土に還っていくそれらの姿に「生産物としての木」の影として、産業として古来積み上げてきた時間と人と自然との関わりが見えてくるように感じた。

 日本の国土のうち約67%が森林とされているが、その内実に約40%が人工林であり、担い手を失った畑としての森林は、新たな公害を生み出すなど大きな問題となっている。山々、そして森にある木々を前に、私たちは自然という言葉をよく用いるが、それは本当に「自然」なのか。私は伐採の後に畑の畝の様に残された多量の枝葉を採取し、積み上げていく中で、つくられた自然、この世界に流れている大きな力と向き合いながらぼんやりと見えてきた感覚を紡いでいった。

To Know
Installation (オブジェクト一体が約H200×180×60㎝)
2019年/土(約9t)

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Receding Memory -To Know-
W1500㎝/2017年/杉、建築廃材(異形鉄筋)

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