Exhibitions
2025
「国際芸術祭BIWAKO BIENNALE 2025」(旧伴家住宅 大広間・近江八幡/滋賀/日本)
BIWAKO BIENNALE 2025, Former Ban Residence, Shiga, Japan
琵琶湖の湖面を眺めていると、刻一刻と変化するさざめきに惹かれます。河川とも海とも異なる独特のリズムの中で、その揺らぎは世界の在り様そのものを映し出しているように思えるのです。会場である旧伴家住宅は、時代ごとに所有者や役割を変えながら、人々の営みを受け継いできた場所です。私はそうしたここに積み重ねられた時間が、「場」を創り出しているように感じます。湖面が雄大な時間の流れを顕すとすれば、私たちの生は刹那的で小さな存在かもしれません。しかしその生もまた連なる時間の中で絶えず変化し、美しいさざめきを生み出していきます。本作では、既製品として一律に生産されたアルミ板を熱で溶かし、質量を移動させることで生まれたパーツを展開しています。制作は一定の規則性をもって行われ、そうした中で身体的条件や呼吸、リズムなどの違いが差異を生み、揺らぎとなって現れていきます。私はそれをひとつの層として束ね、この空間に「表層」として立ち現したいと考えました。それは、繰り返されることのない日々が重なり合うことで生まれるさざめきとなり、この瞬間の表層としてこの空間にある今を顕していくということです。
本郷芳哉展 「在り様」(ギャラリーせいほう/東京)
Yoshiya Hongo Solo exhibition "The Ways of Being", Gallery Seiho, Japan
私にとって世界は、単純でも透明でもなく、むしろ完全に理解することを拒むような複雑な現実です。 特に2011年以降、 自然の力や目に見えない存在、そして社会そのものの不確かさを強く意識するようになりました。 様々な天災や人災によって風景は大きく変わり、人の営みが脆くも力強いことを私は繰り 返し目にしてきました。 一方で、 人が文化や思想を否定し消していく姿には強い嫌悪を覚えます。 無常の世界において変化は必然ですが、 何を受け入れ、何 に抗うのかは私たち自身が選んでいくべきだと思っています。 私はそこに 「人間らしさ」を感じているのです。そして、残したことも消したことさえも、確かに「そこにあった」 という事実が記録され、 紡がれていくべきだと考えています。 変化の只中にある今だからこそ、私たちの在り様を見つめ直し、「生きるとは何か」を問い直すことができるのではないでしょうか。 私は人間を世界の一部 と捉え、切り離せない存在として、作品を通じて 「境界」「時間」「関係」 などの視点からその在り様を探っています。 そうした背景のもと、 本展では鉄とい う素材を用い、 3つのアプローチによって人の在り様を彫刻として立ち上げました。 #1では、 建築廃材の鉄筋をひとつひとつ固有の存在として捉え、その交点を溶接することでひとつの全体を創り出しました。 そこには、私たちの体験や 記憶が結びついていく様子、 あるいは人と人との関係が織り合わさりながら新しい存在を形づくる姿が重ねられています。 #2では、輪郭を持たない建築廃材の鉄筋の塊を外部から圧縮し、 現れた交点を溶接することで外郭を形成していきました。 中心へと向かう動きの中で、 不安定で緩やかな空間が凝縮し、ひとつの形へと固められていきます。 変化し続ける世界の中で何かを残そうとするとき、そこには必ず人の意思が介在しま す。 その中心に込められたものを包み込むようにして、輪郭は構築され、 現れていくのです。 #3では、過去に自ら制作した彫刻を素材としました。 伐採された木に鉄筋を巻き付け、木を焼失・炭化させて関係性そのものを残した作品を、今回はさ らにガス溶断 (1) し、 存在を削ぎ落としました。 そして溶断で生じたスラグ (2) を、 石膏を用いた型取りの技法によって、そのままの姿で記録し、 封入していきました。 残すことも、消すことも、変えることもまた人の在り様です。 ただ、起きたこと、あったことが時とともに流れていくのではなく、確 かにそこにあった事実として残していく必要があるのだと考えます。 鉄という素材は、社会や建築などの私たちの生を支える基盤です。 その存在は、 リサイクルが繰り返され、絶えず姿を変えていきます。 私はこの数年、 解 体や建築の現場、 スクラップ工場、 再製鉄の溶解炉などへのリサーチを継続的に行ってきました。 鉄の循環を追うことは、現代を生きる私たちの姿を映し出す営みでもあります。 本展の試みは、その素材を通じて、 変化の只中にある私たちの生と在り様を、実感を伴う現実の中に見つめ直すものです。 本展の開催にあたり、リサーチや素材提供、 制作にご協力を賜りました皆様に、この場を借りて改めて深く感謝を申し上げます。 ありがとうございました。 2025年9月22日 本郷芳哉 ※1:「ガス溶断」とは、切断したい金属をガス炎で予熱し、酸素を送り込むことで燃焼させ、切断する鉄を切断する技法。 ※2:「スラグ(鉱滓)」 とは、鉱物を精錬する際に発生する副産物や、ごみ焼却施設の溶融過程でできる固形物。 ここではガス溶断で生じた燃焼後の酸化鉄の滓を指す。
「SPLIT WATER...?」(代官山T-SITE GARDEN GALLERY/東京/日本)
"SPLIT WATER...?" DAIKANYAMA T-SITE GARDEN GALLERY, Tokyo, Japan
2023
共同制作
第70回交通総合文化展(JR上野駅 中央改札口外 グランドコンコース)
主催:公益財団法人日本交通文化協会・「鉄道の日」実行委員会
HP:https://jptca.org/news/20231013-17299/
作品タイトルである「Inside-Outside」には、「内側・外側」や「表・裏」といった意味がある。これまで、私は制作を通してこの世界の中で私たちがどのように生きていくのか?ということを問うていきたいと考えてきた。そうした中で、「境界」はそれを思索していく上でのひとつの大切な視座となってきた。「境界」への認識や扱いの差異は、現代社会が抱える様々な問題にも深く関わっている。そもそも「境界」とはネガティブにもポジティブにも捉えることのできるものであり、その「内側・外側」や「表・裏」ということですらも、そう単純で簡単に扱い、判断することができないものだ。だからこそ、私「境界」とはなんなのか、そして、それを通してその先に在るものとどう向き合い、関わっていくのかを考えていく必要性を感じている。 私の祖母や両親はキリスト教徒で、私自身も子どもの頃は教会に通い、ステンドグラスは身近な存在だった。幼少期の私にとって、祭壇の向こうに在るステンドグラスを通して落ちてくる美しい光に、どこか現実とは異なる向こう側の世界を感じていたように記憶している。ステンドグラスのことをリサーチしていく中で、時間が経ち、様々な経験をしてきた現在のキリスト教徒ではない私の眼には当時とは異なった角度からその光景が映っている。 本作では「境界」のひとつのメタファーとして、ステンドグラスそのものを「素材」と捉えている。第90 回交通文化展のため の作品制作であり、主催である日本交通文化協会が管理する工房が普段行っているステンドグラス、あるいは陶器を用いての制作、どちらかの素材を用いて行うという条件のもとで制作が行われた。あえて工房との共作というスタイルを取り、技術者である工房スタッフとのやり取りの中で制作を進めていくことで、歴史性や様式、技法、培われたイメージなどを含む総体としてのステンドグラスと向き合い、私たちが生きるなかで向き合わなくてはならない「境界」の在り様について見つめていく。
The title of my work, "Inside-Outside" has the meaning of "inside/outside" or "front/backside. Through my work, I have always wanted to ask the question, "How do we live in this world? I have always wanted to ask the question, "How do we live in this world? In this process, "boundary" has been one of the most important perspectives in my contemplation of this question. Differences in the recognition and treatment of "boundaries" are deeply related to various problems that modern society faces. To begin with, "boundaries" are something that can be viewed negatively or positively, and even "inside/outside" and "front/back" are not so simple and easy to handle and judge. That is why I feel the need to think about what "boundaries" are and how to deal with and relate to what lies beyond them. My grandmother and parents were Christians, and I myself attended church as a child, so stained glass was a familiar presence. As a child, the beautiful light falling through the stained glass windows beyond the altar made me feel as if I was in a different world from reality. Now that time has passed and I have experienced various things, my non-Christian eyes seem to see the scene from a different angle. This time, as a metaphor for "boundary," I considered stained glass itself as a "material. By confronting stained glass as a whole, including its history, style, technique, and cultivated image, I wanted to look at the nature of "boundaries" that we have to face in our lives. In this work, large transparent glass panes of the same size as the five windows on the wall are broken by hammering stones into the panes, which are then connected and fixed with lead wire. The stained glass technique itself, in which cut pieces are joined together to form a single piece, is connected to the words "division" and "rebirth," which are very important to Christianity. In this work, I digested such various information and elements related to stained glass, piled them up like layers in my mind, and made them into a work of art.
「中之条ビエンナーレ2023」(四万温泉エリア・大黒屋/群馬/日本)【アーティスト イン レジデンス】
The Nakanojo Biennale 2023, Nakanojo town, Gunma, Japan [Residence Program]
初めてこの建物に入った10年前には、ここはすでに人の手を離れていた。人の生活の痕跡は変わらずここにあるが、ゆっくりと土に戻っていく木材や畳が、確かに動き続けていることを私に教えてくれる。 今回、人が住まなくなって久しいこの家屋自体を素材として捉え、向き合っていく。 そもそも「家」とは私たちがこの無限の世界の中で、コントロールできる領域を自らで定めたものだ。私にはそれが人そのもののあり様と重なって見える。私はコントロールから外れた「家」から、この世界との繋がりを確認していく。
When I first entered this house ten years ago, it was already abandoned. It seems as if the traces of human life are still here, but the wood and tatami mats, which are gradually returning to the soil, tell me that they are indeed continuing to move. For this project, I will confront the house itself, which has long since ceased to be inhabited, by considering it as a material. A "home" is what we define for ourselves as the area we can control in this boundless world. To me, it seems to overlap with the way people themselves are. I confirm the connection to this world from "home" which is out of control.
本郷芳哉展 「View」(ギャラリーせいほう/東京)協力:有限会社 野田酸素商会、株式会社 丸栄
Yoshiya Hongo Solo exhibition "View", Gallery Seiho, Japan
私の住んでいる地域では、雑木林が次々と切り開かれ、沼が埋め立てられ、新 たな街並みが次々と生まれている。また近年、戦後に建てられた建築物がその役割を終え、次々と新しい建物に建て替えられていく光景を目にする。それは遥かに望む大地の稜線が私たちの認識の外側で刻々と変わっていくことと同じ様に、私たちの住む都市や生活もまた変化し続けているということなのかと思いながら、少し寂しく思いつつ、私はその変化を眺めている。 贖うことのできない流れの中で、私はこの世界の中で生きるということについて問う。今回、社会の中で廃棄されたものたちが集まる工場で、スクラップの山に登り、拾い集めた「鉄」という素材を通して、この世界の中での私たちの位置について考えていく。現代の私たちが生活を営む上で欠かせない素材である鉄は、様々な機能や役割を担うことで(例えば「車」や「缶」、建築物などの一部として)身の回りにあるが、そうした属性が剥ぎ取られ、バラバラに解体され、集められるときに、初めて「鉄」として分類される。役割の痕跡や錆、オイルにまみれながらまさに山のように積み重ねられたそれらは、私たちが営む日常の裏側で稜線となって常に動き続けている。私はその光景の前に立つときに、私たちにとっての「鉄」という存在に触れると同時に、この世界の中で生きる私たちを見るように思う。
In the area where I live, wooded areas are being cleared one after another, swamps are being reclaimed, and new townscapes are being built one after another. In recent years, I have seen buildings built after World War II, which are no longer serving their purpose, being replaced one after another with new buildings. I look at these changes with a bit of sadness, wondering if it means that the towns we live in and our lives are changing just as the ridgelines of the earth we see in the distance are changing moment by moment outside of our perception. In the midst of this inescapable flow, I ask myself what it means to live in this world. This time, I would like to think about our place in this world through the material "iron" that I climbed and collected from the scrap pile of a factory where discarded items from society are gathered. Iron, a material indispensable to modern life, surrounds us with various functions and roles, but at the same time it is a material stripped of such things. Only when stripped of its attributes, dismantled into pieces, and collected can it be classified as "iron. They are piled up like mountains, covered with traces of their roles, rust and oil. They are in constant motion as the ridges behind our daily lives. Standing in front of this scene, we are touched by the presence of "iron" for us, and at the same time, we feel as if we are watching us living in this world.
「越後妻有 雪の様相Ⅰ」(越後妻有里山現代美術館/新潟/日本)
Museum on Echigo-Tsumari, Niigata, Japan
2022
KYOTO Ninnaji Omuro Art 4.8 Project 本郷芳哉
世界遺産仁和寺 国名勝仁和寺御所庭園/京都
KYOTO Ninnaji Omuro Art 4.8 Project Yoshiya Hongo
World Heritage Ninna-ji Temple Shiroshoin, Kyoto, Japan
この世界は充満している。しかし、私たちがそれに気がつくことは殊の外難しい。 仁和寺の南庭は東向きに作られ、そこに広がる白砂の空間を通して、移り行く時間を感じることのできる美しい庭である。それを望む白書院の縁側には、その空間と向き合う多くの拝観者の姿がある。そこに座っていると、その空間が満ちていることに気がつく。見えてくる世界の在り様と向き合うことは、私たち自身の存在について省みることにつながっていく。 「庭」は、人の手と膨大な時間によって作り出されたひとつの世界であり、世界遺産にも数えられる寺院のそれともなれば、殊更に強い存在感を放っている。その中で展示を行うということは、すでに成り立っている世界に、作品という「異物」を差し込むことにほかならない。私はその状況を、すでに満ちている世界の一部として存在する、私たち自身の在り様と重ね合わせた。そして、庭や建築が形づくる調和の中に、作品の存在による違和感を生み出した。 南庭を含む屋外を中心に「空白」シリーズを、白書院内には、そこに紡がれてきた空気や時間のイメージをもとに「Appearance」を制作し、展示を行った。 二つのシリーズは、ともにアルミニウムを用いて制作している。現代において工業的に多用されるアルミニウムは、その物質的特性から、一般に「腐食しづらい」とされている金属である。しかし、この世界の大きな循環の中で、すべてのものは動き続けている。人が生きる時間軸から離れ、より大きな時間の循環から見たとき、アルミニウムも、遥か彼方に見える山々の稜線も、波打つ水際も、私たちの身体でさえも、その物質の境界は常に変化し、揺らぎ続けている。 「空白」は、「在る」ということについて思索し、自分の身体を基点に空間を押し広げるように制作した表面を腐食させることで、存在の在り様を表したシリーズである。一方、「Appearance」は、製品として固められ、「不変」や「硬質」のイメージを持つ金属を熱によって移動させることで制作し、空間に差し込む光や気配を可視化していく。二つのシリーズは、どちらも存在の持つ境界へのアプローチを含んでいるという共通点がある。 さまざまな電子機器やVR 技術などの発展は、私たちの生活を効率化し、その利便性を格段に向上させた。また、近年の感染症の世界的な流行は、身体や、自身と外の世界との距離について考えさせ、その在り様を大きく変えた。そのような中で、私たちが自らの身体や、この世界における物質性について考え、その中に生きる私たち自身の在り様を見つめることが、今、必要だと感じている。今回の展示は、悠久ともいえる時間を湛え、世界の在り様を垣間見せる仁和寺において、人として生きる時間とその在り様について、改めて考える機会となった。
「国際芸術祭BIWAKO BIENNALE 2022」(カネ吉別邸・近江八幡/滋賀/日本)
BIWAKO BIENNALE 2022, KANEKICHI Second house, Shiga, Japan
2021
「空白」(ギャラリーせいほう/東京)
World Heritage Ninna-ji Temple Shiroshoin, Kyoto, Japan
「中之条ビエンナーレ2021」(沢渡暮坂・旧沢田小学校/群馬/日本)【アーティスト イン レジデンス】
The Nakanojo Biennale 2021, Nakanojo town, Gunma, Japan [Residence Program]
2020
「The Border」(いりや画廊/東京/日本)
Hongo Yoshiya Sculpture Exhibition -The Border- , Iriya gallery, Tokyo, Japan
積み上げられた瓦礫の前に立つ。その隙間に見える人の気配に触れる。 そこに積み上げられた瓦礫に内在する時間と、自分の位置との間にあるものと向き合っていく。 現実として目の前に横たわる時間と私との間にあるアルミは、うつろにその前に立つ私の姿を映し出す。 瓦礫を通して見えてくるそこで生きた人のこれまでの時間について考えていく。
アルミニウムは非常に酸化しやすい性質を持ち、大気中の酸素と結合し、その表面は常に酸化被膜に覆われている。つまり私たちがそのものの本当の姿を見ることはないということだ。私はそうした特性を持つアルミニウムのあり様に親近感を覚えるのである。「Revelation」ではその酸化被膜に着色(染料)し、強めるアルマイト加工を施したアルミ材を存在のメタファーとして捉え、存在の表層とその内側にある本質との関係性に注目している。そして視覚的な情報と認識、その内側に秘められた ものとの間に在る差異についてついて現し、問うていく。
2019
「本郷芳哉展 そこに在ること」(ギャラリーせいほう/東京)
Yoshiya Hongo sculpture Exhibition, Gallery SEIHO, Tokyo, Japan
「中之条ビエンナーレ2019」(沢渡暮坂・旧沢田小学校/群馬/日本)【アーティスト イン レジデンス】
The Nakanojo Biennale 2019, Nakanojo town, Gunma, Japan [Residence Program]
2018
「本郷芳哉彫刻展 対峙」(銀座K’sGallery/東京)
Yoshiya Hongo Sculpture Exhibition “Confrontation", K’s Gallery, Tokyo
「對流風景CONVECTIVE SCENERY」(53美術館/広州/中国)【アーティスト イン レジデンス】
對流風景CONVECTIVE SCENERY, 53museam, Guangzhou, China [Residence Program]
中国広州に2018 年の11 月末から12 月初旬かけての2 週間滞在し、制作を行った。 立ち並ぶ高層ビルと整備の行き届いた高速道路とは裏腹に、その周囲には、開発にともなって解体され た以前そこに在ったであろう建物の瓦礫がいたるところに山積みにされている。街中を歩いてみると、工事は着々と進められ、その中で人々が生活している。 私には、急速に近代化の進む中国において進められる開発の速度と、そこに住む人々の生活の間には大きなギャップがある様に見えた。反対運動が行われている様子もあるが、そこに住む多くの人にとってはそれすらも日常化し、風景と化している。 訪問者である私は、その様子を外から眺めている。 そこに孕む根本的な問題は中国に限ったことではないと感じる。 日本に住みながら日々感じていた違和感の答えが、客観的な立場を通してクリアになっていった。 急速に変わっていく世界の中で、そこに生きる人々は何を感じ、これからどう生きていくのだろうか。 中国広州に行き、そこで生きる人たち姿を目の当たりにした。 積み上げられた瓦礫の中にその地で生きてきた人たちの息遣いを感じる。 私はその上に立ち、そこに静かに意識を落としていく。 変わっていく世界の中でそこで生きることについて向き合っていきたい。
2017
「本郷芳哉彫刻展 -境界に揺蕩うものについて-」(いりや画廊/東京)
Hongo Yoshiya Sculpture Exhibition -Ttrail in the Boundary-, Iriya gallery, Tokyo, Japan
「中之条ビエンナーレ2017」(沢渡暮坂・旧沢田小学校/群馬/日本)【アーティスト イン レジデンス】
NAKANOJO Biennale2017, Gunma, Japan [Residence Program]
【アーティスト イン レジデンス】
ARTWAY ASEANWAY, ART MILL SONGKHLA ART CENTER, Songkhla, Thailand [Residence Program]
旧倉庫を改修したギャラリーの床をタイの伝統的な紙(Si)を用いて型取りした。 紙はそれ自体が構造を持ち、そこに空気や水を含んでいく。私にとって制作をしていくことはものを感じ、考え、理解していくことと同じだ。その 床に残された歴史や空気を見つけるためにそこを写し取っていく。 急速に発展していく中で、見落とされていく。価値あるものがいかに足元にあるのか、それすらも見失っていくものも多い。制作中に私の作品を踏みつけられた足跡が、私たちが自分たちの足元にあるものに対していかに無関心であるか、そのことを証明する。
2016
「ConversationsⅢ」(スパイラルガーデン/東京/日本)
ConversationsⅢ, SPIRAL, Tokyo, Japan
「アートアイランズ TOKYO 2016 第6回国際現代美術展」(伊豆大島・旧波浮小学校/東京/日本)【アーティスト イン レジデンス】
椿の木を切り倒し、その木の葉を全て炭化させた。 葉のない木々は生きることができず、その集合体である森もまた死ぬ。 どの葉も等しく価値がある。しかし、その価値を見出していくことは日常の中で難しい。 木を一つの社会に見立てた時、葉の存在は一人の人間のそれに近いのかもしれない。 青々とまだ命を感じる状態の葉を枝からむしり取っていくことは、命を摘んでいくことであると感じる。むしり取った葉をケースに詰め、火にかける。 満タンに詰めた葉は、炭化し5分の1 ほどの体積になった。 炭化させることによってその命は結晶化され、循環する生命の輪からその存在が外れていく。 延々と続く行程の中で、命に対する感覚はゆっくりと麻痺していく。 命の価値はどこにあるのか。 それを奪っていくこととは何なのか。 現代の社会において人間の命の価値について改めて考える必要を感じる出来事が多発している。一枚の葉の価値、一人の人間の命の価値について見つめてく。
others
2015
「本郷芳哉彫刻展「存在のカタチ それを創るモノ」」(いりや画廊/東京)
Hongo Yoshiya Sculpture Exhibition "The form of the extenstence", Iriya gallery, Tokyo
「中之条ビエンナーレ2015」(四万温泉/群馬県/日本)【アーティスト イン レジデンス】
Nakanojo Biennale 2015(Shima Spa/Gunma) [Residence Program]
建築の廃材を用いて廃校になった小学校の校庭に小学校の教室の床を創り出した。 私たちの日常は選択していくことの連続である。そして今を選択していくことは未来を選択していくことに他 ならない。私たちはそのことを知っている。しかし、知っているだけだ。 8 tの廃材を床の面積に自分の手で運び、並べていく。 生産と消費を繰り返す現代において、壊されたものは忘れ去られていく。ただ、あったことは決して無かったことにはならない。私たちの足元に積み重ねられていく。そこを踏みしめていくのは子供たちだ。今そこにある選択の答えは、本当にそれで正しいのだろうか。
Past Works















































































































































































