top of page

Artist in residence program

 

To know inside history from surface - with indifference -

Sa Paper(タイの伝統的な紙)、アクリル

2017

旧倉庫を改修したギャラリーの床をタイの伝統的な紙(Si)を用いて型取りした。
紙はそれ自体が構造を持ち、そこに空気や水を含んでいく。私にとって制作をしていくことはものを感じ、考え、理解していくことと同じだ。その床に残された歴史や空気を見つけるためにそこを写し取っていく。
急速に発展していく中で、見落とされていくものは多い。価値あるものがいかに足元にあるのか、それすらも見失っていくものも多い。制作中に私の作品を踏みつけられた足跡が、私たちが自分たちの足元にあるものに対していかに無関心であるか、そのことを証明する。

椿の木を切り倒し、その木の葉を全て炭化させた。
葉のない木々は生きることができず、その集合体である森もまた死ぬ。
どの葉も等しく価値があると同時に、その価値を見出していくことは日常の中で難しいことも事実だ。
木を一つの社会に見立てた時、葉の存在は一人の人間のそれに近い。

青々とまだ命を感じる状態の葉を枝からむしり取っていくことは、命を摘んでいくことであると感じる。むしり取った葉をケースに詰め、火にかける。
満タンに詰めた葉は、炭化し5分の1ほどの体積になった。
炭化させることによってその命は結晶化され、循環する生命の輪からその存在が外れていく。
延々と続く行程の中で、命に対する感覚はゆっくりと麻痺していく。
命の価値はどこにあるのか。
それを奪っていくこととは何なのか。
現代の社会において人間の命の価値について改めて考える必要を感じる出来事が多発している。一枚の葉の価値、一人の人間の命の価値について見つめてく。

 

Out of circulation
2016/葉、火

 

選択
Option
W700×D800(cm)/2015/建築廃材

建築の廃材を用いて廃校になった小学校の校庭に小学校の教室の床を創り出した。
私たちの日常は選択していくことの連続である。そして今を選択していくことは未来を選択していくことに他ならない。私たちはそのことを知っている。しかし、知っているだけだ。
8tの廃材を床の面積に自分の手で運び、並べていく。生産と消費を繰り返す現代において、壊されたものは忘れ去られていく。ただ、あったことは決して無かったことにはならない。私たちの足元に積み重ねられていく。そこを踏みしめていくのは子供たちだ。今そこにある選択の答えは、本当にそれで正しいのだろうか。

 

SPACE
4畳半・H390㎝/2013/アルミニウム、ステンレス鋼、映像、近隣を流れる川の音

廃屋の4畳半の一部屋の内側を叩き出したアルミの板によって覆い、天窓から近隣を流れる川の映像を投影した。床面に敷き詰められた鏡面のステンレスに映像が反射し壁面が映し出される。見上げれば天窓には川の映像が映し出されている。4畳半の部屋は人が一人佇むには丁度いい。静かな部屋の中には川の音が響き渡る。
廃屋の中に取り残された時間の痕跡と聞こえてくる流れる川の音の間に人間の儚さを強く感じた。流れる時間の中で揺蕩う時間を感じることのできる空間を創り出したいと考えた。

bottom of page